及川タクマ
ミュージシャン
ラジオパーソナリティ
番組プロデューサー
古着屋経営
アーティストサポート
石窯パン工房ばーすでいエンターテイメント事業部企画室長
NPO法人雄勝まちづくり協会理事長 etc…
1月26日生まれ A型 宮城県出身
2003年兄弟ユニットメリチョコ結成。TV朝日ストリートファイターズに出演し、たった二週間で北海道・東北エリア人気投票1位獲得。その後、「ホチキス」オリコンインディーズチャート9位「題名のない唄」オリコンイン ディーズチャート11位と活動の幅を大きく広げ、2007年メジャーデビュー。メリチョコ活動休止後は、及川タクマとしてソロ活動スタートさせ、現在は多方面でその才能を発揮している。
〈はじめに〉楽天イーグルス人気情報番組のMCを務める及川タクマさん。ミュージシャンとしての活動に留まらず、様々な場面で存在の強さを発揮している。
そんなタクマさんに、どのような考えで物事と向き合い、どのような経験を積んで現在に辿りついたのかをインタビューしていく中、そこには“ある人”との大切な約束があったことを語ってくれた。
野球を知らない僕が番組MCになったことで、野球を知らない人にも野球を知ってもらうキッカケになれたと思います。
ミュージシャンの枠を超えて様々な分野でご活躍のタクマさん。
現在の主な活動とその経緯を教えてください。
今、楽天FM TOHOKU89.1MHz で楽天イーグルスの情報番組のMCをやらせて頂いているんです!それで、野球に特化した音楽を作るのが今はメインになってますね!
2年前、楽天が最下位だった時、「誰かチームのテンションを上げてくれる人はいないのものか」と、どうやらそういう人を探していたみたいなんです。
その時、たまたま僕が出ていたイベントの共演者の中に、番組の関係者の方がいらっしゃって。僕を見て「この人ヤベーな」と(笑)
今の僕は、お客さんの年齢層が高くても低くても関係なくパフォーマンスが出来るように仕上がっておりますので(笑)常にどのイベントでも一番テンションが高いんですよね(笑)
初めて観てくださったその方はきっとビックリしたんじゃないかな(笑)
それがご縁となり、声をかけて頂きました。
「野球に興味はありますか。」と。
で、僕は「野球は知りませんけど興味はあります!!」と。
僕、本当にその時、野球のこと全く知らなかったんですよ!(笑)
時を同じくして、もうひとりMCに抜擢されていた高野浩二くん(秋風センチメンタル)は、めちゃくちゃ野球詳しくて。
元々は※ホームゲームとビジターゲームで一人ずつの予定だったんですけど、そういった経緯もあって一緒にやらせてもらうことになり、誕生したのが“ワシワシブラザーズ”なんです!
(※ホームゲームは、チームの本拠地で開催される試合。ビジターゲームは、対戦相手の本拠地で開催される試合。)
野球を知らずにMCを引き受けて、本当に大丈夫だったんですか!?
いや、それが・・どうやら今までの野球のラジオ番組っていうのは、元選手とか、監督さんとか。野球に詳しい方がお話しされることが多くて、リスナーの方はただウンウンと聞いているだけだったと。
それが、まさかのまさか!野球を知らない僕がホーム戦のMCをやってしまったことで、野球を知らない人にも野球を知ってもらうキッカケを作れたんです!
皆さんにとっては当たり前のカタカナの野球用語とか、僕全然分からないから聞きながらやっていて・・・。
それが逆に共感を呼んで、野球を知らない人でも聴きやすい番組になったということなんですね。よかったー!(笑)
野球を知らない人が、野球選手とどんどん友達になっていくというこのストーリー、なんて素晴らしいんだ!
ワシワシブラザーズが最近リリースされた「イヤフォンソルジャー」がとても気になります。
今、野球や番組ファンの方たちがどんどん増えてくれていて、その方たちのことを僕らは”イヤホン部隊”と呼んでいるんです。
そして今、その隊員がどんどん増え、なんと選手の奥さんまでもそこに入隊してしまったという・・・誰も想像しなかった奇跡が起こっています(笑)
そこで、そのリスナーの皆様の声から生まれたのが、このイヤホンソルジャー!
これも自分たちで服も小道具も全部揃えました。チープな感じがいいでしょ(笑)時代に乗ってNiziUの縄跳びダンスも取り入れました(笑)
先程もお伝えした通り、リスナーさんから生まれた声を歌詞にしているので「あ!これ俺が言った言葉じゃん!」というのも皆様に楽しんでいただけているんじゃないかと。実は、タイトルもリスナーさんが付けてくれているんですよ!
このオフシーズンの間、皆さんを野球ロスにさせないために、これをみて凌いでください!ということで、頑張って作りました!
なぜか再生回数は少ないのに、コメントは沢山来る!(笑)ファンが熱い!!
自分の周りで「無理だよ。不可能だよ!」と言っていた人たちに向けて「無理ではなかったですよ」と言える自分になれたことで、その後の音楽に対する姿勢が変わった。
タクマさんは2007年にメジャーデビューを果たされましたが、音楽を始めた当初と現在、変わったことはありますか?
僕は2003年からメリチョコというユニットを組んで活動しているんですが(現在は活動休止中)
音楽活動を始めたばかりの時の僕は、レコード会社に入りたいとか、有名になりたいとかいうところで爆進していたタイプだったんです。
今はどちらかというと目の前にあるものをどれだけ楽しめるかというスタイルに変わりましたね。大人になったのかなぁ。
僕は、周りの人に「絶対メジャーデビューは無理だよ」とかって言われて育ってきて、それで余計火がついて「メジャーデビューを絶対するんだ!」って。
それが、当時の僕の最終目標地点になっちゃってたんですよね。「メジャーデビューしたら、きっと素敵な未来が待っている」って思っていました(笑)
しかし、いざデビューが決まりました!!ってなったら、もうそこで目標が達成されてしまった事に気が付いたんです。その後のことを全く考えてなかった(笑)
本当はそこからスタートっていうのが正しいと思うんですけど、僕がそれを最終目標にしてしまっていたことで、例えばそこから日本武道館で歌うぞ!とか、そんなことは全く考えてなかったんです。
とにかく、自分の周りで「無理だよ。不可能だよ!」と言っていた人たちに向けて「僕達、無理ではなかったですよ」と言える自分になれたことで満足してしまったんですよね。
それでその後、僕の音楽に対する姿勢っていうのは大きく変わっていったんです。
人の夢が自分の夢であって、人が無理っていうものを全部無理じゃないですよって言ってあげたい。
どのように変わっていったのでしょうか。
今は、目の前の人を全力で楽しませる!という風に変わりました。
僕の性格って、人の夢が自分の夢であって、人が無理っていうものを全部無理じゃないですよって言ってあげたいというタイプなんです。いろんな試行錯誤があるよ!って。これは子供の頃からずっと変わらないし、
今に至るまでの自分の経験からも、強く言える。
誰かが困ってたら力になりたい!全力で動きたい!というスタイルは今も変わらず、
音楽で有名になりたい!ではなく、音楽でどう社会貢献をしていくか。ということを探究するのが僕のテーマになりました。
どうしたら皆の笑う顔が見れるかな。って考える楽しさに気付いたのが高校生の時だったんです。
常にパワフルに活動させている印象ですが、一体何が原動力になってるのでしょう。
まず、迷うぐらいならやってしまえ!と思うようになったのは高校の時!
高校の時に「これやったらまずいだろう・・」っていうのをやるのが友達同士の中でブームで(笑)これやったらダメだろうなぁって言うものほどやっちゃう。ダチョウ倶楽部さん的なね(笑)
そうやって、友達とアホなことを考える中で、どうしたらみんなの笑う顔が見れるかな。って考える楽しさに気付いたのが、高校生の時だったんです。
やっぱり印象に残らないことをやっても時間の浪費だからね。
それをやったら皆どんな顔するだろう。って想像するとすごいワクワクするじゃない?それが原動力になって、どんどん新しいこととか、思いついちゃうんですよ。
他人の意見はあくまで参考。貫け信念!
2019年にアメリカ・ペンシルバニア州にも行かれたのも、そういったことの延長ですか?
実は、ペンシルバニアにいったのは東日本大震災の時の出来事から始まっているんです。震災はとても大きかったですね。当時メリチョコは活動休止をしていて、みんなバラバラに活動していたんです。
その中で起こった震災でした。
震災で、自分の音楽活動もずっと応援してくれていた親友が亡くなりました。
実は大学の時に好きだった人なんですが、その人がかけてくれる言葉はいつも厳しくて、僕が音楽活動をする上で張り合いというか。突っ走る動機をくれていた人の一人です。
震災後、自分もご遺体を探したり・・・
最終的に、その人のご遺体を見つけることが出来て、その人の前でミュージシャンとしてもっと頑張りますみたいな誓いも立てたから、その時言ったことを全部やらなくちゃという思いもあります。
実はアメリカに歌いにいくというのも、その人と約束したことだったんです。
どうしてペンシルバニアに?
震災後、その時僕が持っていた資金を全部使って被災地に物資を運んでいた時に、もう限界がきて「あ、これもうこのままじゃ自分が生活できない!」ってなりました。
とうとう終わりかと思ったその時、アメリカのペンシルバニアに住んでいる日本人の方から連絡を頂いたんです。突然「120万送りたいです」と。
その当時、毎日被災地の様子と自分たちの活動の様子をブログに書いていたんですが、それを読んでくれていたみたいで、他ではなくあなたに送りたいと思った。と言ってくれて・・・
これはこの活動を続けていけということだな。と。その時、強く感じました。
だったら、その時一番人手が足りなくて一番ひどいところはどこだ?って調べて石巻市の雄勝町というところにたどり着いたんです。
雄勝は若者がいない街だったから、次の担い手が見つかるまでということで支援が始まって、
それが、今のNPO法人雄勝まちづくり協会。
そんな経緯もあり、その時に寄付してくれた方に直接会いに行ってお礼を言いたい!
そしてその震災で亡くなった子との約束を果たすために歌う!と。
この二つの目的でペンシルバニアに行きました。
僕の動画ではそんなことは一切言ってないのでわからないと思うんですけど、ペンシルバニアの方に無理言って、歌わせてもらい。歌い終わった後に泣いていたのは、そういうことでした。
今まであまりこの話はしてこなかったんですが、こういう話ができるのも生きていた証になるから良いですよね。
色んなことを乗り越えて今の“及川タクマ”があるんですね。
そうですね。他人の意見はあくまで参考。貫け信念!
僕の極意を一言でまとめると、こうなりますかね(笑)
目の前の人を楽しませたい!!
誰かが困っていたら120パーセントの力で不可能を可能にする!!
これからも、この気持ちを大切に突っ走っていきたいと思います!
〈おわりに〉人を楽しませること、困った人を助けたいというその大胆なパフォーマンスの裏には、強い信念が隠されていた。関わる一人ひとりを真摯に思いやり、行動するその姿は、これからも多くの人の励ましの光となるに違いない。
取材:Noriko Shimada